歴史

    元スレ:「http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1553676306/
    1: 樽悶 ★ 2019/03/27(水) 17:45:06.24 ID:1QYGaKcb9
    福島県川俣町の前田遺跡から出土した、漆で精細な装飾を施した土器=福島市山下町の県文化振興財団遺跡調査部で2019年3月26日午後2時23分、高橋隆輔撮影
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     縄文人はやっぱりおしゃれだった――。県教委が今年度調査した福島県川俣町小綱木の前田遺跡から、最も古いもので縄文時代中期後半ごろに作られたとみられる多量の漆塗り製品などが出土した。通常出土しにくい木製品や漆塗り土器がきわめて良好な状態で見つかった。デザインへの意識の高さや、木の道具を使った火おこしなど、縄文人の生活に関するさまざまな定説を裏付ける、有効な資料となりそうだ。

     調査は国道114号改良工事に伴い、県教委から委託を受けた県文化振興財団が実施。昨年7~12月に約2800平方メートルを調べた。

     3層の土層から生活の跡が確認できた。上層は平安時代、中層は縄文時代晩期(約3000年前)、下層が同時代中期後半ごろ(約4500年前)と推定。うち、下層からは、黒と赤で漆を二重に塗った土器や、火をおこす際に使う木製の「火切り臼」などが出土した。遺跡はわき水や洪水で運ばれた土砂などに覆われていることで酸素と遮断され、長期間残りにくい木製品や漆も良好な状態で保存されたとみられる。

     漆塗り土器は、内側まで水玉や縦じまの模様をつけられるなど、デザイン性の高いものが多かった。出土数が多いことから、日常的に使う食器などにも漆塗りをしていた可能性があるという。祝い事などに使う漆塗りの土器は全国に出土例があるが、精細な装飾がこれほど良好に保存された例は珍しい。縄文人の美意識の高さが再確認された格好で、財団の担当者は「これほどのセンスをもっていたとは」と説明した。

     また、縄文時代の火切り臼は全国で数例しか出土しておらず、その中で今回の物は最古級とみられる。国内では旧石器時代から人類は火を使用していたと考えられており、縄文人が早くから道具を使って火をおこしていたとの見方を補強する資料となりそうだ。

    3/27(水) 8:57配信
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190327-00000008-mai-cul

    【【考古】「縄文人はおしゃれ」裏付け、デザイン性高い漆製品多量出土「これほどのセンスをもっていたとは」 福島・前田遺跡 】の続きを読む

    元スレ:「http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1553457279/
    1: しじみ ★ 2019/03/25(月) 04:54:39.30 ID:CAP_USER
    人類史上「最大の発明」の一つとされる製鉄の歴史が変わるかもしれない――。古代オリエント世界でエジプト新王国と勢力を二分したヒッタイト帝国。その中心部だったトルコ・アナトリア地方の古代遺跡で、日本の調査団が製鉄関連の最古級の遺物を見つけた。

     見つかったのは、酸化鉄を多く含む分銅形をした直径約3センチの塊。トルコのカマン・カレホユック遺跡で1986年から調査を続けている「中近東文化センターアナトリア考古学研究所」(大村幸弘(さちひろ)所長)が、2017年9月、紀元前2250~同2500年の地層から発見した。

     遺跡は、「鉄と軽戦車」を武器に古代オリエント世界で栄えたヒッタイト帝国(紀元前1200~同1400年)の中心部に位置する。帝国は先住民が発明した「最新技術」の製鉄を独占して軍事的優勢を得たとされる。だが、帝国が滅ぶと製鉄技術は周辺各国に急速に普及。鉄器時代へと向かう転換点になった。

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    朝日新聞デジタル
    https://www.asahi.com/articles/ASM3Q7THKM3QPLZU004.html

    【【考古学】鉄の歴史に一石、ヒッタイト起源に異説か 最古級の遺物[03/25] 】の続きを読む

    元スレ:「http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1552279623/
    1: しじみ ★ 2019/03/11(月) 13:47:03.93 ID:CAP_USER
    ■大量の化石データを駆使、「恐竜がすむのに適した環境が豊富にあった」

     6600万年前のある日、地球に隕石が衝突したせいで、恐竜の時代は終わりを告げた。恐竜の仲間の中で、この試練を生き延びたのは鳥類だけだった。その鳥類と、私たちの祖先にあたる初期の哺乳類が、恐竜に代わって主役の座に就いた。

     だが、もしこの大災害が恐竜に降りかからなかったらどうなっていたのだろうか? それでもやはり自然に衰退し、絶滅していただろうか?

     たぶん、そうはならなかった。隕石の衝突がなかったら、恐竜は絶滅していなかったかもしれない。3月6日付けで学術誌「Nature Communications」に発表された論文によると、白亜紀が終わった6600万年前の大量絶滅のときまで、恐竜が衰退する兆しは全くなかったという。この研究結果は、隕石衝突の時点で恐竜がすでに「末期的衰退」の状態にあったかどうかをめぐる論争に新たな一石を投じるものだ。

     この研究では、大規模シミュレーションという、古生物学の分野では新しい手法が用いられた。こうした最先端のアプローチによって、過去の環境の大変動に関する理解が深まるとともに、今日の気候変動がもたらしうるものを詳細に予測できるようになるかもしれない。

    「今回の結果は非常に重要です。恐竜衰退の物語がまるごと否定されましたが、新しい手法を考案できてとてもよかったです。いろいろな可能性を秘めています」。今回の研究を率いた古生物学者で、英インペリアル・カレッジ・ロンドンの博士課程学生であるアルフィオ・アレッサンドロ・キアレンツァ氏はそう語る。

    ■もしも隕石が衝突しなかったら

     1940年のディズニー映画『ファンタジア』を観ると、当時の古生物学者が恐竜絶滅の原因をどのように考えていたかがよくわかる。映画では、緑豊かな沼地で繁栄をきわめたお馴染みの恐竜たちが、気候変動に伴う砂漠化により絶滅する様子が描かれている。この考え方は1980年代に大きく変化した。地質と化石の証拠を検証したルイスとウォルターのアルバレス父子が、恐竜が絶滅したのは砂漠化のせいではなく、隕石の衝突による大災害のせいではないかと主張したのだ。

     その後、科学者たちは決定的な証拠を見つけた。メキシコ沖で、この衝突によってできたと思われるクレーターの痕跡を発見したのだ。それ以来、ほとんどの古生物学者が、恐竜を絶滅に追い込んだ主要な原因は隕石の衝突であると考えている。

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    続きはソースで

    ナショナルジオグラフィック日本版サイト
    https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/030800149/

    【【古生物学】隕石衝突まで恐竜は減っていなかった、新研究[03/11] 】の続きを読む

    元スレ:「http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1551008361/
    1: みつを ★ 2019/02/24(日) 20:39:21.40 ID:3/tNxCJQ9
    https://j-town.net/tokyo/news/localnews/271802.html

    群馬にリアル「三途の川」があった なぜこんな名称に?歴史を調べてみたら...
    2019年2月24日 20:00

    人が死んでからあの世に行くとき、必ず通らなければならないとされる「三途の川」。そんな三途の川が、群馬県で発見されたといま注目を集めている。

    「一級河川 三途川 群馬県」と記された看板。場所は群馬県の西南部に位置する甘楽(かんら)町だ。ネット上で「三途川」の看板写真が投稿されると、「マジであるのか」と驚きの声が上がり、話題となった。

    川の名前が「三途川」とは、なんとも不気味だ。いったいどうしてこんな名称になったのか。Jタウンネット編集部は調査を進めた。
    (リンク先に続きあり)

    三途の川が群馬に!?(画像はGoogle マップより)
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    【【群馬にリアル「三途の川」があった】なぜこんな名称に?歴史を調べてみたら.. 】の続きを読む

    元スレ:「http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1550649478/
    1: 樽悶 ★ 2019/02/20(水) 16:57:58.72 ID:/A8AQsUn9
    福岡県糸島市の潤地頭給遺跡で出土した工作用の石鋸(上2点)と石製硯の未完成品(下)=柳田康雄さん提供
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    硯の製作遺物が確認された遺跡
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     弥生時代中期中ごろから後半(紀元前2世紀末~前1世紀)に石製の硯(すずり)を製作していたことを示す遺物が、北部九州の複数の遺跡にあったことが、柳田康雄・国学院大客員教授(考古学)の調査で明らかになった。国内初の事例。硯は文字を書くために使用したとみられ、文字が書かれた土器から従来は3世紀ごろとされてきた国内での文字使用開始が300~400年さかのぼる可能性を示す貴重な資料となる。

     硯の遺物が見つかったのは、潤地頭給(うるうじとうきゅう)遺跡(福岡県糸島市)=前2世紀末▽中原遺跡(佐賀県唐津市=同▽東小田峯遺跡(福岡県筑前町)=前1世紀=の3遺跡。既に出土していた石製品を柳田客員教授が再調査したところ、末広がりになる形状の薄い板で、表が磨かれ裏が粗いままという硯の特徴を示しながら、仕上げがされずに破損したものがあり、未完成品だった。墨をつぶす研ぎ石の未完成品や、石材を擦って切断する道具・石鋸(いしのこ)も確認され、現地で硯が製作されたと判断した。

     中国での硯の使用開始は戦国時代末(前3世紀)で、前漢時代に長方形の板石製が普及し始める。日本の弥生時代の硯は北部九州を中心に近年相次いで確認され、文字の開始を早める資料として注目されたが、国産かどうかは不明で、古くても年代は1世紀ごろまでだった。今回はさらに100年以上早くなるうえ、中国の板石製とほぼ同年代に国産の硯が作られていたことになる。

     柳田客員教授は「倭人(わじん)(当時の日本人)が使っていたとしか言いようがない。硯は文字の需要があったから作った。地元産の石を用いた可能性がある。中国製を模倣しつつ独自の形状をしており、国産化する際にモデルがあったのでは」と話している。【大森顕浩】

    ■外交や交易で文字使ったか

     西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)の話 弥生時代の文字文化の定着と広がりが想像以上に古かったことを意味している。硯が国産されていたことは、中国から流入した文字が日本に定着する過程を示す。外交や交易の際に文字が使われたのだろう。

    毎日新聞 2019年2月19日 20時58分(最終更新 2月19日 21時22分)
    https://mainichi.jp/articles/20190219/k00/00m/040/236000c

    【【古代】「倭人が使っていたとしか言いようがない」 北部九州に紀元前の硯製作跡 国内の文字使用開始、300年以上さかのぼる可能性 】の続きを読む

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