レコジンの卵

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歴史


  

元スレ:「http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1566943241/
1: 樽悶 ★ 2019/08/28(水) 07:00:41.17 ID:7ymxuKcb9
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東京国立博物館の特別展で話題となっている「三国志」。現在発売中の月刊誌『歴史街道』9月号では、「三国志・男たちの五大決戦」と題し、官渡、赤壁、五丈原など5つの決戦を取り上げ、名将たちがいかに決断したかに迫っている。

(前略)ここでは、三国志研究の第一人者である渡邉義浩氏による解説を紹介しよう。

※省略

『演義』では悪玉とされる曹操ですが、史実においては、桁外れの行動力と変革力を発揮しており、規格外の「時代の変革者」と評せます。当代随一の兵法家でもあり、この時代における一番の天才といってもいいでしょう。

彼が成そうとした最大の変革として、「儒教の相対化」が挙げられます。漢の国教とされた儒教は、漢を「聖漢」、すなわち「聖なる漢」との教えを説き、その体制を支えていました。

しかし、そうした漢の体制が行き詰って、国が乱れているわけですから、曹操は新たな時代を創造するためには、儒教第一主義を否定しなければならないと考えました。

その手始めとして、「唯才主義」による人材登用を主張します。それまでの漢の官僚登用は「孝廉」、つまり人として優れていれば、官僚としての才能も保証される、という儒教理念に基づいて行なわれてきました。

それに対して曹操は、貪欲だったり、賄賂を受け取るような人物であっても、才能さえあればいいとしたのです。

あわせて文学を宣揚し、儒教に通じているか否かではなく、文学に優れているか否かを人事基準として、儒教を相対化しようとしました。

中国史上でも、儒教に異議申し立てをしたのは、ほかに近代以降の魯迅と毛沢東しかいません。曹操が果たそうとしたことは、それほどまでに革新的なことだったのです。

余談ですが、それによって儒教は打撃を受け、それまで普及していなかった仏教が後に広まる契機となります。それがなければ、日本への仏教渡来もどうなったかわからず、その意味で曹操は日本史にも影響を与えているのです。

それから曹操は、漢の土地制度と税制を根本から変える改革も行なっており、「中国史上屈指の改革者」と評して過言ではありません。

三国志の時代は、順当に行けば、袁紹による国家ができたことでしょう。名門の家系に生まれただけでなく、戦い方も王道です。彼は、漢と同じ国家像を志向しています。しかし滅びゆく漢と同じことをしても、無理があります。

そうした袁紹に対し、曹操は漢に代わる新たな国家像を提示できた。だからこそ、勝利を収められたのではないでしょうか。

なお、10年ほど前、中国河南省で西高穴二号墓が発掘され、曹操の墓ではないかと話題となったことは、記憶に新しいのではないでしょうか。発掘状況と文献を精査すると、曹操の墓で確実だといえます。

■劉備は諸葛亮に利用された

※省略

三国志の時代に、裸一貫から皇帝にまで上り詰めたのは、劉備ただ一人です。曹操は漢の高官の息子ですし、孫権も弱小とはいえ豪族の出身。何もないところから成り上がった劉備の能力は、やはり極めて高かったといえます。

劉備を支えた諸葛亮は、『演義』では天才軍師として描かれます。しかし、持ち上げられすぎているきらいがあり、それがために苦手という人もいるでしょう。

実際の諸葛亮は、自分の得手不得手をよくわきまえた人物で、経済政策を苦手としていました。ですから例えば、劉備に嫌われていながらも、経済手腕には長じていた劉巴を、何とか高い地位につけようとしています。

戦いの面で言えば、戦略と戦術に分けられますが、諸葛亮は戦術が苦手でした。戦術は騙し合いの世界なので、どちらかというと、人格者ではないほうが優れている。その点、諸葛亮はまっとうな人間であり、嘘や騙し合いの必要な戦術は、さほど得意ではなかったと思われます。

しかし、戦略には優れていました。よく「天下三分の計」といいますが、それ自体は、あの時代であれば考え得ることでしょう。むしろ特筆すべきは、劉備という存在に目をつけたことにあります。

諸葛亮は、漢を敬慕し、純粋に「漢再興」を目指していました。ですから、劉備に三顧の礼を受けた時、内心狂喜したのではないでしょうか。

諸葛亮は、劉備が漢帝室の姓を持つことと、彼が優れた武人であることに注目し、漢再興の旗頭として位置づけることを考え出した──。(続きはソース)

8/27(火) 12:14配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190827-00010000-php_r-pol

★1:2019/08/27(火) 23:45:46.81
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1566927388/

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元スレ:「http://egg.5ch.net/test/read.cgi/news5plus/1566592715/
1: SQNY ★ 2019/08/24(土) 05:38:35.90 ID:CAP_USER
・海底に眠るタイタニック号  2030年には跡形もなくなる恐れ=ダイバー

動画:https://youtu.be/CVwh7U-pDqA



アメリカのダイバーらは、1912年に沈没した客船タイタニック号に、腐食と微生物作用による強い損傷があることを発見した。Atlantic Productionsがプレスリリースで伝えている。

大西洋の海底、ニューファンドランド島から南に600km、水深3千810mに眠るタイタニック号の残骸が初めて見つかったのは1985年。当時は、内装の多くはほぼ無傷だった。

アメリカのダイバー調査隊は、14年ぶりの有人探査であり、メンバーには研究者や歴史学者が含まれる。タイタニック号へ5回の潜水が行われ、船体を調査した後、水中で107年を過ごした同号の状態は悲惨だという結論に達した。4Kビデオ撮影と、調査をもとに作製されたタイタニック号詳細3Dモデルにより、このような結論となった。
https://twitter.com/ABC/status/1164761210157355008

研究者らの予測では、タイタニック号の残骸は、塩腐食や強い深層水流、微生物の影響で劣化し続け、2030年には同号は完全に崩壊するという。

2,224人を乗せたタイタニック号は1912年4月14日に氷山と衝突。1,514人が死亡。タイタニック号が巨大な氷山と衝突し、沈没した後に助かった700人のうち、現在生き残っている者はいない。タイタニック号沈没時に2か月半だった最後の生存者エリザベス・グラディス“ミルヴィナ”ディーンさんは、2009年5月31日に97歳で亡くなった。エリザベスさんの遺灰は2009年10月24日、タイタニック号が最初で最初の航海に旅立ったサウサンプトン港に散灰された。

・First manned Titanic expedition in 14 years reveals 'shocking' deterioration
https://abcnews.go.com/International/manned-titanic-expedition-14-years-reveals-shocking-deterioration/story?id=65115413

(画像)
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2019年08月23日 16:58 スプートニク日本
 https://sptnkne.ws/9ydq
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)

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元スレ:「http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1566422570/
1: ごまカンパチ ★ 2019/08/22(木) 06:22:50.90 ID:NbjE8Zs59
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190820-03239136-clc_cns-cn
 中国・山西省(Shanxi)の太原美術館(Taiyuan Art Museum)で、600年以上前のスポーツを描いた古代の壁画が6日から展示されている。
その中で、同省洪洞県(Hongdong)広勝寺(Guangshengsi)水神廟(びょう、Shuishenmiao)に現存する元時代の壁画
「捶丸(Chui Wan、球具を使い小さな球を打つ競技)図画壁」で描かれた「捶丸」がゴルフによく似ていると評判だ。

この展示の目的は、古代壁画の中のスポーツの絵を展示することにより、古代スポーツの多様性と悠久の歴史を知らしめることにあるという。
「山西省の古代壁画の中に現れるスポーツの絵は、中国古代スポーツの真実の反映であり、古代スポーツの多様性を記録したものです」
「これらの壁画を通して、中国の古代スポーツを知り、現代のスポーツに至るまでの歴史的な流れを理解してほしいです」
と太原美術館の王鼎(Wang Ding)館長は語る。

 展示された「捶丸図画壁」は最も代表的なもので、古代の「捶丸」競技の場面を描いている。絵画に描かれた球技場や、用品、参加人数など、
現代のゴルフによく似ている。
北京五輪の開催期間中に、当時の国際オリンピック委員会(IOC)のフアン・アントニオ・サマランチ(Juan Antonio Samaranch)会長が中国に来て、
「捶丸図画壁」を見て「中国人は元の時代からゴルフをやっていたのか」と驚いた話は有名だ。

 同様に、同廟に現存する元時代の壁画「対弈図」に描かれた古代棋具や棋盤は、現代の象棋(中国将棋)の「楚漢分界(Chu Han Fenjie)」によく似ており、
駒も現代の囲碁に似ており、中国の棋類の発展の歴史を研究する上で貴重な資料だ。

中国の古代では「蹴鞠(Cu Ju、足でボールを蹴る競技)」「馬球(Ma Qiu、馬に乗ってボールを追う競技)」や「捶丸」は一世を風靡(ふうび)した三大球技だった。
「蹴鞠」の起源は春秋戦国時代までさかのぼり、盛んになったのは宋、元、明朝になってからだ。
「馬球」は主として唐の時代に流行し、「捶丸」も「馬球」の後を継いで変化したものという。

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